自分の子どもが大人へと育っていく過程に身近で接していた経験によると、人間の成長は産まれてから線形に一定速度で進むのではなく、ある時期には身長が急に伸び、別の時期には社会性が急に発達し、という調子で成長段階に応じて大きく伸びるところが異なり、おおむね18歳になるころにはまずまず外見や発言がひとりの人間として整うという印象だった。そういう視点で機械翻訳の研究開発の進展を眺めていると、この十年足らずの期間における急速な変化はまるで中学生の身長の伸びを見ているような気持ちになる。
深層学習の導入を契機に機械翻訳の性能が飛躍的に改善された最初の導入時期を過ぎても、TransformerやBERTのような新しい大きなアイディアと実装が次々と発表されて、翻訳性能が改善される速度にまだまだ勢いがあり、その「身長」はもっと伸びそうな予感がする。
産業翻訳の業界の片隅で仕事をしている人間にとって、機械翻訳の性能改善におけるこの成長がどういう意味を持つのかと言えばつまり、今現在自分たちが利用しているAI翻訳エンジンの性能をもとに翻訳者や翻訳業者としての自分や自社の将来計画をあれこれと構想したところで、そもそもその構想の前提が短期間に刷新されてしまう可能性がある、ということだ。 歴史を振り返ってみると、ある技術が爆発的に進歩する期間は限定されており、人間にたとえれば思春期がいつまでも続くことはない。個人の成長において思春期のあとに青年期が訪れ、その先に長い成人の季節が続くように、社会におけるある技術の「思春期」的な進歩の次には、社会の側がその技術革新を消化する大きな変化(つまりその技術の「青年期」)がしばらく続くことになるのではないだろうか?
ある子どもの身長の伸びは周囲の誰から見てもわかりやすいものだけど、人間としての本当の大きな変化はその内面や社会性において起きるものであり、私たちの人格がその青年期におおむね完成されていずれ社会で自分の居場所をみつけていくように、機械翻訳の技術革新にともなう社会の大きな変化は、きっとまだ始まったばかりだと思う。 そう考えると、たまたま偶然に導かれた結果であるが、この大きな変化の時代に翻訳という仕事にたずさわれることの幸運を天に感謝せずにはいられない。
(初出『JTFジャーナル』#299 2019年1/2月号の記事をもとに改訂しました)