ライト兄弟が人類最初の動力付き飛行に成功したのは1903年のことですが、飛行機の基本原理は1799年にはすでに英国のジョージ・ケーリーによって着想されており、ケーリーは1804年に現在の飛行機と同じ形の模型グライダーを製作しています。ケーリーによる模型グライダーの製作からライト兄弟による動力付き飛行の成功まで100年近くかかったのは、二つの課題を解決する必要があったためです。 第一の課題はエンジンの開発でした。19世紀の主要な動力源である蒸気機関は、その初期には飛行機のエンジンとして重すぎたため、様々な方式のエンジンが試されました。1868年の航空展覧会には、蒸気、火薬、ガス、石油を用いたエンジンの模型が出品されたそうです。ライト兄弟も当初は軽量なエンジンの開発をメーカー各社に打診しましたが、打診した先のすべてのメーカーからことわられてしまったため、兄ウィルバーが自社工場でプロペラとともに自製しています。 第二の課題は鋭敏な身体感覚を要求される操縦と安定保持の実現でした。飛行機がない時代には操縦士の役割とその重要性がよく認知されておらず、リリエンタールという偉大な例外を除けば航空の先駆者で操縦に正面から取り組んだ先人はほぼ皆無でした。しかしライト兄弟は操縦の重要性を十分に理解しており、動力付き飛行に先立って約千回のグライダー飛行を行なって、ピッチ、ロール、ヨーの三軸すべてについて安定を保持しながら操縦する技能を体得していました。 AI翻訳(ニューラル機械翻訳)はそれ以前の機械翻訳エンジンと比較して画期的な性能改善を実現していますが、航空の革命がエンジンだけでは達成できなかったのと同じように、翻訳の革命もまたエンジンだけでは達成できません。では何が足りないのか?飛行機開発に着手した1899年のライト兄弟には、足りないものがはっきりと見えていたと思います。だからこそ彼らは先駆者となれました。翻訳革命を実現する未来の“ライト兄弟”にも、今はまだ翻訳の革命に足りないものがきっと見えていることでしょう。
参考文献:佐貫亦男『不安定からの発想』講談社学術文庫
(初出『JTFジャーナル』#288 2017年3/4月号の記事をもとに改訂しました)