機械翻訳の台頭で翻訳者という仕事はなくなるのか?という質問がたびたびだされる。この質問への正解はもうわかっていて、「機械翻訳と同程度かそれ以下の品質の翻訳しかできない翻訳者の仕事はなくなるが、機械よりも翻訳が上手な翻訳者の仕事はむしろ増える」である。 機械よりも上手な翻訳者が翻訳の仕事を続けたい場合、道は二つある。「機械翻訳されたテキストなんて読みたくもない」と考える翻訳者であれば、出版翻訳や映像翻訳など当面は機械でうまく訳せそうにない分野に的を絞って仕事すればよい。「機械翻訳を使って生産性があがるならそれもおもしろい」と考える翻訳者であれば、機械翻訳エンジンのトレーナーやプリ/ポストエディットの仕事に業務内容を変更すればよい。 個人翻訳者のロードマップは以上に述べたとおりシンプルだが、翻訳会社の場合は話が面倒になる。 翻訳会社の場合はその経営者が機械翻訳の導入前と導入後で翻訳という仕事の工程が根本的に変化することをどこまで深く認識しているかがその翻訳会社の存続をいずれ左右するのだろうと思う。機械翻訳導入前の産業翻訳は「人手を多段化することでエラー発生率を下げる家内制手工業」がその本質だったが、機械翻訳導入後は「標準化された工程のもとで品質を管理して要求仕様を満たす成果物を安定生産する製造業」へと変容するため、現場ももちろん刷新されるが、それに先立って経営者には製造業という慣れない業態への本質的理解と、翻訳業という看板以外のすべてをスクラップアンドビルドするくらいの苦渋の決断と難行苦行をやり切る覚悟が求められる、そんな気がする。 Googleニューラル機械翻訳(いわゆるAI翻訳)が衝撃的なデビューを飾った2016年秋から何年もの時間が過ぎた。翻訳サービスのユーザーである一般の個人にとってはすでにAI翻訳は十分に認知され、なくては困るサービスになっていると思うが、産業翻訳の業界は当初私が予想したのと比べて変化に時間がかかっているように思う。その原因としては、翻訳産業の顧客となる企業(メディカル、特許、製造業など)にとってAI翻訳の正確性が不確実な点に不安があり、なかなか従来型の産業翻訳への依存状況を大きく変更できないためだろうと推察する。
そうはいってもAI翻訳の進歩がさらに進んでいる現状と、社会通念の変化が少しずつだが進んでいくという時代の流れを考えれば、「時代のふるい」にかけられて既存の多くの翻訳会社が淘汰され消えてゆく一方で、それと入れ替わるように言語方向と翻訳分野の二次元で描いたマトリクスのセル単位で「小さな巨人」のような次世代型翻訳会社が台頭してくるのではないか、とずっと考えている。そのような翻訳会社の世代交代はこれから本格化して、2030年前後には翻訳業界の地図が大きく書き換えられているに違いない、というのが私の個人的予想である。
(初出『JTFジャーナル』#304 2019年11/12月号の記事をもとに改訂しました)