『西遊記』でおなじみの三蔵法師のモデルとなった中国唐代の僧侶、玄奘は629年(27歳)から645年(43歳)にかけて仏典の梵語原典を求めて西域(インド)を旅し、仏舎利・仏像・経論(657部)を長安に持ち帰った。運搬には馬二十頭を要したという。帰朝後の玄奘は皇帝からの政務参加の要請を断り、664年(62歳)に遷化するまで寸暇を惜しんで持ち帰った経本の翻訳に専念した。 皇帝の許しを得て居を定めた玄奘はただちに経本の翻訳に着手しているが、その取組はまさに「経本翻訳国家プロジェクト」と呼ぶにふさわしく、下記の四役を設けたという。 證義(しょうぎ、証義)12名… 原文の意味や訳語の適否を検討する係 綴文(てつぶん)9名…訳文を整える係 筆受(ひつじゅ)…訳文を書き留める係(口述翻訳していたらしい!) 書手(しょしゅ)…訳文を清書する係 これら四役の手配にあたっては皇帝に任命されたコーディネーター(玄齢)が活躍した。證義と綴文には沙門(出家した僧侶)がこれにあたり、特に字学と證梵字梵文については担当の大徳(高僧)を配置したという。 誰もが知る「色即是空空即是色」に始まる『般若心経』の訳文は玄奘による新訳である。般若心経は玄奘以前に鳩摩羅什(くまらじゅう 344-413)が旧訳しているが訳語や表記は改められている(250年ぶりの改訳なのだから当然かもしれないが)。鳩摩羅什と玄奘をあわせて「二大訳聖」と呼ぶ。 歳を見ればわかるとおり、玄奘は西域に旅していた期間よりも経本を翻訳していた期間のほうが長い。玄奘は仏典の翻訳に生涯を賭けたのである。
参考文献 (この他にウィキペディア) (1) 山岡洋一『翻訳とは何か 職業としての翻訳』日外アソシエーツ (2) 三友量順『玄奘』清水書院
(初出『JTFジャーナル』#306 2020年3/4月号の記事をもとに編集しています)