フナイン・イブン・イスハーク(808-873)はイスラム文化を代表する医師であり医薬翻訳者であり翻訳工程革新者である。バグダードで医学を、ビザンティンでギリシャ語を学んだフナインは、ギリシャ文献から学ぶことを重んじて翻訳者を厚遇する社会状況のもとでアッバース朝のカリフに重用され、ガレノスやヒポクラテス等の医学書、哲学書、数学書、旧約聖書など大量の文献をギリシャ語から翻訳した。医師としても大成して自ら医学書を著すとともにカリフの侍医にまでなった。フナインの、複数の写本を収集して正確を期す近代的な翻訳姿勢と、対象分野への確かな知識をもとに明瞭で優美なアラビア語を紡ぎ出す翻訳品質は卓越しており、その流儀は自らが校長であった国立翻訳学校を通して多くの弟子に継承された。 当時イスラム医学は世界最高の水準にあった。欧州では異教の精神文化に対する権威的な教会の不信のもとで医療行為自体が疎まれていた時代に、イスラム世界には医師・病院・薬局・医科大学・公衆衛生・疫学・休業保障・持続的病院経営がすでにあった。10世紀後半にイタリアのサレルノに起こった医学校がアラビア語の医学文献をラテン語に翻訳し、失われていた古代ギリシャの医学文書もサレルノを通じて欧州に伝搬されていく。 なぜイスラム医学がこれほど発展できたのか?これは個人の仮説だが、複数の文明から学んだアラビアは広範な症例のデータベースと各文明における治療法を比較検討する視点を持つことができ、医師であれば自らの臨床経験をもとにどの説を取るかも判断できるため、実学重視の価値観に支えられてその体系を大成できたのではないか。そして複数の文明から広範に学ぶには「翻訳」が必須となる。ひとつの文明に従属するなら支配者の言語に同化して他言語に耳塞ぐ選択肢もあるが、それでは中世欧州のように他言語の上に築かれた文明の知識財から阻害される。一方で、自国語を軸に据えてすべてを自国語に翻訳する方法では複数の文明を等距離の選択肢として相対化でき、諸説の良い所取りができる。もちろん、他の文明から学ぶにはその背景に異文化への尊重が不可欠だ。イスラム世界はキリスト教会よりも宗教的に寛容だったと思われる。 なにせフナインはイスラム教徒ではなくキリスト教徒だったのだから。
参考文献 (この他にウィキペディア) (1) 山岡洋一『翻訳とは何か 職業としての翻訳』日外アソシエーツ (2) ジクリト・フンケ『アラビア文化の遺産』みすず書房
(初出『JTFジャーナル』#307 2020年5/6月号の記事をもとに編集しています)