明治初期の社会的変化は日本語の文体も大きく変えた。古典的な文語体を改革する言文一致運動を導いた二葉亭四迷の言葉を内田魯庵が次のように回顧している。 「一体文章の目的は何であるか。真理を発揮するのが文章の目的か、人生を説明するのが文章の目的か、この問題が決しないうちは将来の文章を論ずる事は出来ない。この問題が定まればすなわちその目的を達するに最も近い最も適する文章が自ずから将来の文体となるのである」『二葉亭余談』内田魯庵 二葉亭が文体を語ってから130年後の現代、日本の産業翻訳業界でもグーグルやDeepLなどの企業がブレイクスルーを先導して機械翻訳の本格的導入が続いている。いざ変革がはじまってみると、顧客の手元には翻訳会社が従来の発想を適用しても解決できないような機械翻訳需要があることが次々にわかってきて本当に興味深い。 たとえばEコマースのウェブサイトでは桁違いの件数の商品名や説明文を日本語から多言語に翻訳する強い需要があり、ここに機械翻訳を利用したいわけだが、訳文に期待される品質は商品によって実に様々だ。顧客の期待にこたえるにはかつてない視点で斬新かつ緻密に翻訳品質を制御する必要があり、従来の価値観では歯が立たない。
顧客はその文章で誰に何を伝えたいのか?
表面のテキストはその表象であって本質はそれが内包する「メッセージ」自体であるはずだ。そのメッセージの要点を深く理解した上で、顧客がイメージする「新しい翻訳」を実現できるワークフローを、産業翻訳のいずれの分野でも創造する必要がある。そういうことだと思う。
文体の変革期を生きた二葉亭四迷は「文章を書く目的が定まればそこから新しい文体が産まれる」という洞察を述べているわけだが、この言葉はそのまま、AI翻訳をフル活用しようと苦心する産業翻訳の現場に対して「北極星」となる指針を与えてくれる激励だと感じる。
(初出『JTFジャーナル』#303 2019年9/10月号の記事をもとに改訂しました)